犬も歩けば猫も歩く

中年サラリーマンの生活と副業について書いています。

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細くて暗く、長い通路の向こう側【第三話】

■入院の朝

そして、入院の日を迎えた。
娘が12歳(小学校6年生)の冬の日だった。


当時、わたしと奥さんが一番気に掛けていたこと。それは、中学の入学に間に合うか・・・。

先生は、その質問に対して曖昧な答えをした。

正直難しいでしょう!しかし、100%無理というわけではありません。あとは、本人の回復次第です。

未来

それからの奥さんは、とても献身的だった。

正社員である奥さんは、一日も休むことなく会社に出かけ、退社後毎日片道2時間以上も掛けて娘を見舞いに行った。


そして年は越え1月になり、娘の入院は2ヶ月になった。しかし、担任の先生からは、その間何の連絡もなかった・・・。でも、わたしも奥さんも人間味のない担任の行動に、何の驚きも落胆もしなかった。

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■校長との再来

しかし、わたしはある理由があり、再び校長の元を訪れた。
わたしは、校長に深々と頭を下げ、こうお願いした。


娘の入院も2ヶ月になり、このままでは中学の入学式には間に合いそうもありません。病院の先生の話では、早くても5月頃になるだろうとのことです。


「5月に中学に戻れるとして、休学期間の長かった娘は不安でいっぱいの筈です。そこで、お願いなのですが、小学時代仲の良かった子と同じクラスにして頂けることはできませんでしょうか?」


だまって話を聞いていた校長は、「公の身分にある自分の口から、お約束しましょう!ということは言えません。しかし、一応お預かりしておきましょう。」といって、
わたしが持ってきた、名前の書かれたメモ用紙を受け取ってくれた。


そして時は過ぎ、4月の下旬に娘は退院することになった。

娘は、退院したいがばかりに“爆食い”をしたらしい。奥さんも、学業が遅れてはいけないと焦る気持ちがあったのだろう。先生は、「退院なんてまだ早すぎます。検査結果を見る限り、正常範囲に戻ってきておりますが、焦って退院すると、また発病する危険性があります。再発したら、今度は長引きますよ!」

 

しかし、娘のためを思うがばかりの親心がまさり、退院することになった。

■中学に登校

退院して、2日後中学校に通学すると、願いが通じたのか小学校時代に仲の良かった子と同じクラスになっている。さらに、その数日後には仲の良かった子と同じ部活に入り、毎日通学する娘の後ろ姿を、奥さんは幸せそうに見つめていた。


しかし幸せは、長くは続かなかった・・・。
数週間もするとまた、学校に行き渋りだした。訳を聞くと、入院生活で筋肉の落ちた体では、練習にまったく着いていけないらしい。また、当時仲の良かった子も、別の学区から入ってきた子とべったりになってしまい、次第に仲間はずれになってしまったようだ。

やがて不登校になり、体重も再び激減しはじめた。
このままにしておくわけには行かない。再び、病院を訪れ再入院となった。


まさに、先生の指摘通りになってしまったわけだ。
2回目の入院生活は、長期におよんだ。

その間に、われわれ夫婦は、おなじ「摂食障害」に悩む親たちが集うフォーラムなどに、週末を利用して頻繁に出掛けるようになった。


そのフォーラム中で、心に残った2つの話がある。

<クリームパンの話>

家事をしていたお母さんの元に、お腹を減らしたお姉さんが帰宅をした。

「お母さん、お腹すいたよ~!」

お母さんは、お昼に作っておいたおにぎりを食べなさいと差し出した。


それからしばらくして、今度は妹さんが帰宅をした。

「お母さん、お腹すいたよ~!」

お母さんは、困ったわね~!あっ、そういえば冷蔵庫に昨日の残りのクリームパンがひとつあったんだ。といって、冷蔵庫からクリームパンを出して、食べさせました。


それを見かけた、先におにぎりを食べた子が、「お母さん、ずるいよ~!わたしもクリームパンが食べたかった!」と言える子は、摂食障害にはならないんだそうです。


いっぽう、「お母さんは、わたしより妹が好きなんだ・・・」と、言葉に出して言えない子が摂食障害になりやすいんだそうです。


<親が焦っている姿を見せてはダメ!>

中学くらいまでの学習なら、半年くらい学校を休んでも2ヶ月程度で追いつけます。お子さんの将来を思う気持ちは分かりますが、一番つらいのは本人です。親が焦っている背中を、絶対に見せてはいけません。

■長くつらい入院生活

娘が再入院して、一週間ほどした週末、奥さんと一緒に見舞いに出かけた。

娘が入院しているのは個室病棟だが、病室について扉を開けた瞬間、自分はショックで涙が止まらなかった。ベットに寝ている娘の腰がベルトで拘束してあるのだ。


何でこんなことを・・・。

先生曰く、「決して暴れるとかそういう訳ではありません。治療の一環と考えてください。」


あとで娘に聞くと、腰を拘束されていると、なにかに守られているような安心感があるのだという。

■細くて暗く、長い通路の向こう側

娘が入院していた病院は、入口から入って、受付・会計、内科、外科などの各科を通り過ぎ、途中から、細くて照明が暗くなり、長い通路をしばらく歩いた一番突き当たりにある「小児病棟」だ。

入口から入ると、10分程度歩く計算になる。


週末に夫婦で見舞いに訪れた帰り、洗濯物などの荷物をつめたカートを押しながら、細くて暗く長い通路を歩くことになる


その通路で何度も妻は、立ち止まって泣き出す・・・。
歩っては立ち止まり、また歩っては立ち止まり涙する。

非力な僕は何も出来ず、彼女の気持ちが落ち着くのを待つしかなかった。


そんな入院生活が、7ヶ月も続いた・・・。

退院後も、彼女は学校に行くことはなかった。
そして、これは彼女が退院をして、何年もしてから聞いた話だが、小学校の当時いじめがあったらしい。馬鹿にされたり、意地悪されたりするのがイヤで、休み時間はほとんど、トイレの中で時間を過ごしたらしい・・・。


いまさらだけど、本当にくやしい。

奥さんは、それを聞いてまたまた号泣した。


あれから、もう何年も経った・・・。

娘はその後、通信制の高校に通い、卒業後今はフリーターとして、週に3回アルバイトをしている。病気は100%完治したとはいえない。偏食がひどく、体は細いが当時のようなガリガリではない。


奥さんは、100%社会復帰を願っているようだが、自分は今のままでいいと思う。家からまったく出られず、引きこもりになっているわけじゃない。週3回でも、社会に接している。じっくり、見守ってあげたいと思っている。


しかし、仕事で街角を自動車で走っていて、元気な女子中学生達の笑顔を見かけると、うちの子はほとんど中学生活を知らぬまま卒業したんだなと思うと、今でも涙腺が緩んでくる・・・。

細くて暗く、長い通路の向こう側【第二話】

■調査結果

そして、二日後校長から電話が掛かってきた。
わたしは、仕事中だったが、抜け出して学校に出向いた。


そこで、聞かさせた事実は、
学年主任、担当教師など関係職員を使って、直接児童からヒアリングを行った結果、いじめの実態はありませんでしたとの事。

病院の窓口

正直、ガッカリした・・・。
じゃ、なにが問題なんだ!?泣き崩れる奥さんに、自分は掛ける言葉も見つからなかった。

それから、受診日までの間、娘は自宅で過ごすこととなった。

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■受診日

そして、いよいよ受診日がやってきた。
県内とはいえ、クルマで1時間程度掛かる場所に病院はある。


その日は、まる一日掛けて、血液検査、心電図などの健康診断、内科、そして最後に「児童精神科」を訪れカウンセリングが行われた。


初めに娘一人で、そして次にわたしと奥さんが呼ばれた。
診察室に入ると、そこにいたのは意外にも若い女医さんだった。いままでの経緯を改めて問われ、次いでわたしに話が振られると、自分は子どものように泣きじゃくってしまい、まったく言葉にならなかった。


そして、先生から告げられた病名は衝撃的だった!


「摂食障害」です。分かりやすくいうと「拒食症」です。

精神的な障害が理由で、ものが食べられない状態にあります。
150センチ台の身長に対して、体重が30㎏を切っている状態で、大変危険な状態にあります。脳が萎縮している可能性があるので、MRI検査を最後に行いましょう!


そしてその日、我々夫婦をビックリさせる驚きの事実が分かった。娘は少しでも体重を重くしようと、信じられないくらい大量の水を飲んでいたようだった。


自宅を出る時に水を飲んだ様子はない、病院に向かう途中コンビニに寄ったが、そこで飲んだかあるいは、検査の前にトイレに寄ったので、その時に大量の水を飲んだのだろう。


病院側もその辺は心得ていて、大量の水を飲んだり、衣服に重りを入れたりと少しでも体重を重くするための対策をしてくるのは、日常的な事なのだそうだ。


そして、ほぼ丸一日掛けてようやく検査は終わった・・・。


検査結果が出るまでの期間、わたしたち夫婦は、「摂食障害」に関する本を山になるくらい読みあさった。しかし、その当時はまだ「摂食障害」の具体的な発病原因や治療方法について詳しく書かれた本は数少なかった。


当時、何十冊と読んだ本の中で、参考になったのがこの本


たくさんの本を読んだ結果、傾向として次のような子が摂食障害になりやすいということが分かった。

・まじめな子

・食いしん坊な子

・頑張り屋の子

・精神的な悩みを抱えている子

・女性患者がほとんど


そして、一度発症すると、相当長い治療期間が掛かること、場合によって生涯治らない人もいるということが分かった。

 

そして数日後、検査結果を聞くため再び病院を訪れた。
幸いにも、脳の萎縮は見られませんでした。
ただ、このままではいつ亡くなってもおかしくありません。
週末には、病室が空きますから、すぐに入院してください。


そしてその日の晩、娘と家族全員を交えて、話し合いをした。
「入院」という言葉に、娘は拒絶を示し「入院するくらいなら死んだ方がマシ!」といって、1時間以上の間号泣した。それでも、奥さんが「毎日お見舞いに行くから!」と言って、なだめて入院ということで話はまとまった。


そして、翌日の朝食時、わたしはリビングの入口で立ちすくんでしまった・・・。
娘が昨晩とは、まるで別人になっている。


泣くという行為は、エネルギーを消費するというが、食卓に座っている我が娘は、表現は悪いがまるでミイラのようだ。骨と皮だけになっている。


昨晩、号泣したことで、こんなにエネルギーを消費してしまったんだ・・・。


第三話につづく ⇒

 

細くて暗く、長い通路の向こう側

■エピローグ

わたしには、娘がいる。

今日は、この娘の話を書こうと思う。この一件は、いままで記事にすべきかどうか随分と悩んだのだが、いまでもこの病気で苦しんでいる人、またこの病気が現代社会で増えつつあるという現実を踏まえて、少しでもそんな方の助けになれば良いと思い、記事にしたためることにした。


我が家は、どこにでもあるいわゆる普通の家庭だった。
ただ、当時自分の勤めていた会社の業績が悪化、すぐにボーナスの支給が止まった。自分では、明るく振る舞っていたつもりでも、今思えば家で鬱ぎ込むことが多くなったような気がする。

病院の通路

その年の秋頃からだろうか?

子ども部屋から、娘の歯ぎしりの音が毎日のように聞こえてくるようになった。当時は、そんな歯ぎしりのことなど、笑い話になるくらい、親子ともども深刻な問題とはまったく感じていなかった。


そして冬を迎えた辺りから、娘の様子が変わってきた。

短期間の間に、娘の体重が激減してきた。見ていて異常とも思えるくらいだ。そんな娘を見て、奥さんは体重計に載るよう促したが、一向に「何でもないから大丈夫!」の一点張り。


わたしは、自分を責めた。

自分の勤めている会社の業績が悪くなったのを、なにかで知ってそれを気に掛けているのではないか?もし、そうだとしたら、全部自分のせいだ・・・。


奥さんに聞いてみると、そのことはあなたとわたし以外誰も知らない。だから、それが理由とは考えられないから心配しないで。


しかし、明らかに異常な痩せ方だ。

奥さんは会社を休んで、行き渋る娘を連れて婦人科を訪れた。結果は異常なし。その後も、都内の総合病院などを訪れたが、明確な答えが出なかったが、とある病院で精神科に行かれて見てください!とのアドバイスを頂いた。


しかし、精神科とはいっても、ほとんどが大人が対象の病院ばかりで、児童を対象とした精神科は、日本全国でもほんの数カ所しかない。


口コミなどでいろいろ調べると、県内に1ヵ所だけ児童精神科がある総合病院があることが分かった。しかし、受診を申し込むと1ヶ月以上待ちだという・・・。


■学校に直談判

しかし、もうそのころになると、娘は学校に行き渋るようになり、やがて不登校になってしまった。自分は、矢も立ってもいられず、学校を訪れ「校長に合わせてくれ!」と言った。


応接室で、待つこと十数分。
校長と教頭、学年主任、そして担当教師の4名が現れた。


自分は、今までの経緯を一気に説明し、こう問いかけた。

「担当の先生に伺いますが、受け持ちの子がここまで激やせして気がつかなかったのですが?気がついていたのなら、それなりの対応があってしかりではないのですか?第一、我が家に対して何の連絡もありませんでしたよね。」


担当曰く、

「まったく気がつきませんでした。○○ちゃんは、バスケットボールクラブに入っていって、活発な子だと認識しておりました。


「ちょっと、待ってください。あなた今なんて言った?○○ちゃんって言いましたよね。うちのこの子の名前は、○△です!」


「す、すみません。気が動転して勘違いしておりました。」


このクラスには、同じ名字の子が二人いる。こんな大事な時に、名前を間違えるなんて、この担任は絶対に使えないと判断した自分は、そこからは校長に向けて話をした。


「家庭内で暴力とか、虐待とか、貧困とか、家庭内別居とか、問題があるとは思えません。つまり、問題があるとすれば学校だ。二日待ちます。学校内でいじめがあったかどうか、至急調査をしてください。二日です。二日待っても、連絡がなければ、教育委員会に出向きます。」


「どうぞ、よろしくお願い申し上げます。」

と言って、学校を後にした。


第二話につづく ⇒