犬も歩けば猫も歩く

中年サラリーマンの生活と副業について書いています。

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奥さんにボーナスを追い越された・・・。

例年より約一週間近く遅れて、夏のボーナスが昨日支給された。
ちょっと、ハラハラしたけど取りあえずはホッとした・・・。

ボーナス

今年は一週間ほど前に、各職場の職場長より各社員に対して面談が行なわれたようだ。

自分が所属する営業部でも、職場長より一人ずつ会議室に呼ばれて面談が行われていった。行われていったといっても、いかんせん小所帯なので一人あたりの時間がとにかく長い。


結局、何が言いたいのかというと、職場長個人の意見ではなくて、会社の現状と今後の方針と、各社員に対する会社の評価が伝えられた。

 

伝言ゲームのようである。


つまり、会社の業績が悪く前年度は-15%程度売り上げが下がった。本来ならボーナス無しとしたいところだが、役員の一部からボーナス全額カットは、社員のモチベーションが下がりますます業績の悪化を招き、悪循環になりかねない。


貢献度の高い社員には、それに応じた評価(ボーナスの額)をした方がよいという意見の元、今回の面談に繋がったようである。


とはいっても、最高評価で現状維持!

評価の低い社員は最大20%減が伝えれたようである。「伝えられたようである」という他人事のような書き方なのは、自分は特段マイナスの評価を言われなかったからで、人づてに聞いた話だからである。


社内で伝わる話を総合すると、ボーナスゼロ回答を申し伝えられた社員も若干名いるらしい。これは、事実上の「戦力外通告」である。さらに、20パーセント減の社員には、遠回しに退職勧奨の話も出たらしい。


これは、とても他人ごとではない。

本社のとある営業マンは、売り上げ上位のベテランだったが、不幸にもクレーム続きの影響で大口の取引先を失い、前期は売り上げが半減してしまった。そのせいで、ボーナスが大幅減となってしまったと聞いた。本人のせいじゃないのにね!


一寸先は闇・・・。

会社というより、業界そのものが斜陽産業の代表選手みたいなものなので、いずれはうちの会社も、この世から消え去る運命にあるのは間違いない。


内需依存型産業であるこの業界は、3年後の東京オリンピック・パラリンピックまでだろうな・・・。オリンピックが終えたのちは、内需は大幅に縮小するだろうから、どう考えても、ここまでが限界かな?


そして、昨日配布されたボーナスの明細を見て、前回の明細と見比べてみた。

「同額」

ほっとしたのもつかの間、さびしく情けない気持ちになった・・・。


というのは一週間ほど前、うちの奥さんのボーナス明細書を何気なく見かけてしまっていたのだ。今まで、奥さんの給料とかボーナスの明細なんて見たこともないし、見たいと思ったこともなかったが、これも運命なんだろうか?


何気なくブックスタンドに挟んであったのを見てしまったのだ。
奥さんの方が数万円上回っていた。


負けた・・・とかそんな気持ちではなくて、ただ単純に自分が情けなかった。


40代で失業し、何とか正社員にはなれたものの、前職では管理職だった自分が今じゃ末端の平社員。年下の上司からは叱咤激励を受け、時には飛び込みセールスをやったりと、まさかこんな情けない中年オヤジになるとは夢にも思わなかったよ・・・。


ネットで稼げるわずかな報酬で、結婚記念日に好きなものを買ってあげる!今の自分にできることはこれぐらいしかない。


先月の結婚記念日に、何が欲しいと聞いたら、


「掃除機!」


と答えが返ってきた。


LINEで送られてきた返事を見て、少し泣いた・・・。

『ノルウェイの森』の装丁が、なぜ赤と緑なのか分かった!

前記事で、村上春樹氏のことを書いていて、ふっと思い立ったことがあった。
彼の代表作『ノルウェイの森』1987年 の装丁は、なぜ赤と緑なのか?


ネットで調べてみると、色々と諸説があるようであるが、今回自分が思い立ったことは、検索してもヒットしない。

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自分が思ったことは後にして、まずは検索すると出てくる諸説について。

 

1つ目はクリスマスカラー。
『ノルウェイの森』の出版された時期がクリスマスの少し前だったので、クリスマスでよく見かける赤と緑の色に合わせた、という説。


その当時、恋愛小説ブームというブームがあって、本の帯には「100%の恋愛小説」といコピーを載せたりして、つまりマーケティング的観点からこういう装丁になったというもの。


でも、これについては村上春樹本人が『そうだ、村上さんに聞いてみよう・・・』の中で否定している。


2つ目は『ノルウェイの森』という物語を赤と緑によって表現している、という説

赤:主人公が真っ赤に燃え尽きたことを示している。

緑:緑に出会い主人公が立ち直ることを意味している。


3つ目の説。

それは、

赤:キズキが死に場所に選んだ赤いN360

緑:キズキが死ぬ直前に遊んだビリヤード台の緑


この説は僕の知る限りではどこにも載っていない。というのは、『ノルウェイの森』と短編『螢』を読んでいて僕がこう思っただけなので。


そう言われると、『ノルウェイの森』の赤と緑がN360とビリヤード台に見えてきたりしませんか?


『ノルウェイの森』の赤と緑より引用


その他にも、「赤」は血の色、「緑」は森の色ですが、この『ノルウェイの森』の「赤」も血のような生命力を表していて、「緑」のほうは直子が死んだ森の色で、死を表している。


登場人物の恋人「緑」が後半、メインになってくること。だから、その前半は補色の赤になる。

 

など、さまざまな諸説があるが、今回自分が思い立ったことは、作者の村上春樹氏が東洋水産株式会社の「赤いきつね」と「緑のたぬき」大ファンだったから!


イッツ・ア・ジョーク!

これは悪い冗談です。忘れて下さい。

 

『ノルウェイの森』の赤と緑の装丁は、出版社の提案ではなく、作者の強い要望だったらしい。


当時、雑誌かなにかの記事で読んだ記憶があるが、赤と緑の装丁なんて派手すぎて絶対に売れない!と出版社の担当は猛反対をしたらしいが、村上春樹氏は赤と緑の装丁にすることを絶対に譲らなかったらしい。


数ある諸説は、神秘的な思惑やノスタルジックなものが多いが、彼は物事を複雑に考えるタイプではないと思う!どちらかというと、シンプルに物事を考える人。


自分が考えるには、赤と緑の装丁は当時彼が住んでいたイタリア国旗の色に由来するのではないだろうかと考えます。

イタリア国旗


彼がイタリアに住んでいた頃、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を聞きながら書かれたということは、前記事でも書いたとおりだが、まさにそう思うのです。

abberoad.hatenablog.jp


たぶん、シンプルな発想で赤と緑に決めたんではないだろうか?


最後に、自分の考えがすでに述べられていないか、念のためもう一度調べてみた。


ノルウェイの森 赤と緑 装丁 イタリア

のワードで検索してみた。


すると、やってしまった・・・。
すでに述べている方がいたようである。


愛知大学の小島基洋氏論文 村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』論によると、文学研究者の鈴村和成が『ノルウェイの森』の装丁の赤と緑が、イタリア国旗に由来するのではないかとする発想は楽しい。と書いている。『村上春樹戦記・「1Q84」のジェネシス』の中で書かれているらしい。


残念だ・・・。

この記事、ボツにしようと思ったけれど、知らない人も多いと思うし、ここまで時間を書いた記事をお蔵入りさせちゃうのももったいないので、開き直って公開しちゃいます。

僕が「ハルキスト」をやめたわけ!

出会いは衝撃的だった!

遊びに行った友人の部屋に置いてあった二冊の本を見かけたのが始まり。


「それ、面白いよ!」

「俺読んじゃったから、よかったら貸してやるよ!」

村上春樹の本

赤と緑の装丁に金色の帯、しかし派手な本だ。

ノルウェイの森(1987年)

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読み出したら、どんどん引き込まれていく!食事も取らずに読み進めて、2日ほどで読破。読み終えて、一旦は友人に返したが、その帰り道本屋に立ち寄り、購入して帰った。


しばらくしてまた読み返して、いったい何回読んだのか分からなくなるくらい読んだ。こんなに自分を夢中にさせたのは、映画「ターミネーター」「インディージョーンズ」「エイリアン」、本では「人を動かす」「小説ビートルズ」ぐらいだ。


この作品は、彼がイタリアに住んでいた頃で、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を聞きながら書かれたことを知っている人は、意外と少ないのでは?


当時は、もちろんパソコンなどない時代だったので、原稿用紙に鉛筆で書いていたそうで、原稿をコピーしようとお店に持って行ったら、原稿がコピー機に絡まってしまって、大変な思いをしたそうである。


それから、ハルキストになった。


デビュー作の「風の歌を聴け」1979年 に始まり、「1973年のピンボール」1980年 と読み進めて、彼の著書すべてを読んできた。それだけには飽き足らず、彼の投稿した雑誌まで読みあさった。


当時、彼はこんな発言をしていた。

「ノルウェイの森」を映画化しませんかという誘いが頻繁にあったらしいが、彼は一貫して断り続けた。


「あの世界は、僕が頭の中で作り上げたもの。映画では絶対に表現はできない。」


こう言っていたはずなのに、数年前映画化された。なぜなんだろう・・・。
自分もそう思うので、もちろんこの映画は観なかった。今後も観ることはないだろうね。


「羊をめぐる冒険」1982年 では、北海道を旅する秀作だった。

これから彼の作品を読んで見たい方は、デビュー作の「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」そして「羊をめぐる冒険」の3作品は絶対に読んでほしい。


彼は小説だけでなく、エッセイも秀悦だった。ビールと豆腐と引越しとヤクルト・スワローズが好きな「村上春樹ワールド」を、イラストレーターの安西水丸画伯のイラストが彩った「村上朝日堂」1984年 は、その中でも最高の作品です。


二つの物語が同時進行する作品「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」1985年 これは不思議さがとても魅力です。第21回(1985年) 谷崎潤一郎賞受賞!


「日出る国の工場 1987年

これは、ご存じ安西水丸画伯とさまざまな工場を見て歩いたエッセイ集。カツラ工場や結婚式場などが登場します。エッセイで登場した結婚式場は、当時自分が住んでいた近くにありましたが、現在は取り壊されて葬儀場になっています。


「遠い太鼓」1990年

ギリシャ・イタリアを旅する、1986年秋からの3年間に書かれた旅行記です。彼が奥さんと2人でギリシアとイタリアで生活していた時代の実話が書かれています。個人的には、彼の著書の中では一番好きな作品です。


と、どんどん彼の作品にハマったいった自分ですが、たしか女性誌「ハイファッション」だったと思うのだけど、本場の讃岐うどんを求めて、安西水丸画伯と香川県を旅するエッセイがありました。


店舗ではなくて、畑の真ん中にある製麺所みたいなところで讃岐うどんを食する風景が描かれています。


これを読んだ自分は、居てもたってもいられなくなって、彼女を連れて寝台特急で香川県まで行ってしまったのだ!このとき食べたうどんを超えるものは未だに現れません。


「ねじまき鳥クロニクル」これは3部作です。この物語に登場する「笠原メイ」という女の子がとても魅力的だったのが印象。


「アンダーグラウンド」1997年

地下鉄サリン事件の被害者をインタビューしたノンフィクション。ボリュームがあって、辞書みたいな本だったけど、読み応えがある作品でした。


当時、雑誌かなにかのインタビューで、彼はこういう発言をしたのを覚えています。

インタビュアーの「作品を書くに当たって、構想はもちろんだと思うのですが、展開や結末などはイメージされた上で、書かれているんでしょうか?」みたいな質問に対して、

「結末はまったく考えていません。こういうものを書きたいと思ったら、勢いに任せてどんどん書いていきます。書いているうちに、結末が見えてくるんです。」


やっぱり天才は違うな~!とますます彼の魅力に惹かれていったのですが、ついにその時は訪れます。


「海辺のカフカ」2002年

15歳の少年の冒険を描いた長編小説で、上巻は本当にすごかった。どんどん話は展開して、のめり込んでいく自分に気がつきます。


しかし、下巻は酷かった・・・。


勢いに任せて、どんどん展開していった物語は、その着地点を見つけて迷走します。あくまで、個人的な意見ですが、下巻は別人が書いたような内容だった。


それ以来、彼の作品は一切読まなくなった。


彼は天才です。でも、天才でもいつか終わりは訪れます。自分にとっては、それが「海辺のカフカ」だった。


天才イチローでさえ、いつかバットを置く日が訪れるように・・・。